似非

似非は、似て非なるとはよく言ったもので、そこには複数の流れがある。

本筋足り得る流れが複数あることもあるが、それ以上に横道がある。そして、たいていの場合横道はとても小さな流れで、雨の後の少しの氾濫で生まれた小さな流れで、すぐにたち消えてしまう。

本筋は多くの場合所謂本物で、横道はそれに追随する偽物。多くの場合。

 

本物に出会うと、自分が偽物であるとつくづく思い知らされる。

僕が暗いのはいつからだったか、それは、暗いことを言う本物に出会ってからではなかっただろうか。暗い考え、心は僕を苦しめるのに、それすら本物ではないのかも知れない。苦しんでいる振り。本当はそう?

でも、苦しいのは本当。ただ、僕は認めてほしいのかもしれない。でも、どこまでいっても本当は本物なんて無いのかもしれない。

それは、僕ではなくもっと先へいっている’本物’にしかわからないことだろうけど。

 

なにもない。

 

お話

光陰矢の如し

幼い頃に毎年毎年唱えていた言葉。

言葉には重みがあって、月と地球では違うようにあの頃と今とではかなり変わってしまった言葉の重み。

日々が過ぎていくことが怖いくせに、怠惰に毎日をやり終える、そこに意義なんてものは見いだせず、足をすくませた振りをしてたたずんでいるだけだ。

 

今日は朝から散々な一日だった。いや、しかしそれに気づいたのは夕方だった。

 植物の茎は水を吸い上げる、この細い管で水を吸い上げる。どうして花はこんなに鮮やかなのか。

僕は、自分の腕をみて似た者どうしだなんて思った。正反対なのに。

また、季節が終わる。

 

手紙

マジックミラーの向こうで手を振って、哀れんでいるのは自分だけだと殻のなか。

 

夜ばかりに逢うのは道化師、赤と白いはななら金魚にでもなれば良かったものを、それとて先行き不安は募るばかり

 

邂逅に急かされて、零手先をよむ灯台の下。

 

手枷を開いて。足枷を開いて。

 

暫くは金木犀の香りに閉じ込めておくしかない。